燻っていた才能が世に出るところが、事故自体の悲惨さをカバーした。ロマンス関連描写はいい感じの展開。病室を賑わす人の出入り、不自由の無い物質的環境、冷えていた婚約者の彼なりの誠意、どれも、如何に当人には自分の当事者感覚の欠如した不確かな居心地
であっても、恵まれたといえる。
それは、ヒロインが終盤に車中で語る心境に本当によく代弁されていて、設定の数々の無理っぽさを忘れさせてくれる。
事故は人生をすっかり変えてしまう大きな出来事。助かって良かったね、だ。
ここに、ハーレクインが大好きな記憶喪失という運命のいたずらが加わり、ヒロインもその周囲も巻き込んでいく。ハーレクイン記憶喪失物にありがちな人違い要素も詰め込まれて。コミック版で一体何作品読んだことだろう、この感じ。藤田先生で本作のコミカライズの方を楽しんだのをよく覚えている。割安なセレクト版で原作に来た。
彼が確信するタイミングが、少しだけお話作りの上のイヤらしさを感じるのだが、物凄く唐突でもない。
ただ、体型は勿論、肌の感触や肉付き質量感、同一性を持たせることは難しいだろう。別人と確信するシーンを後ろの方へ引っ張り過ぎた感が私には拭えなかった。
ただそこもあくまで新しい出会いとして付き合い始めた経過の延長とすれば、多少の違和感に目を瞑って来た結果であるとしてなんとか符合する。
社内の人間の好奇心と新聞記者と秘書室のゴシップ好きの描写がしっくり来なかった。理屈の捻れでは?。
I love NYのloveに当たるが表示されず残念。
このストーリー、ナイジェルには不幸そのものだったし、シンシア1人を悪役的ポジションに置いて、彼女は成仏(非仏教徒だろうけど)出来たんだろうか、と思う。生存を糠喜びした両親の気持ちだとか、色々と思い巡らしてしまう。
後半以降のヒロインのおばのくだりを読むと、罪作りなこの取り違えの顛末は、ロマンス的な大きな幸せも呼んだが、ストーリー全体からは必ずしも喜べない、幸運に見放された人々を考えてしまう。
とりわけ、エイドリアンのひっそりとした死が嘆かれなかった現実と、シンシアで生きられたエイドリアンにとっての事故の意味、光と影のコントラストを考えてしまう。奇跡の生存者は二重の奇跡を掴んだ。
降って湧いたようなチャンスにみえて、ヒロインがそこに精一杯の労力を注ぎ込む、何度もそれを強調していたので、そこを星に考慮。
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