キラッキラの華ある絵柄とは違うグリッとした細墨?木炭?の様な、線に味ある画風も魅力的。1987年作品。いかにも少女漫画のツルッとした質感ではなく。1982年の間に、「いろはにこんぺいと」辺りから、このガサツ繊細なローティーンエイジ感前面の新
たなる境地を並行して見せ始めている。中坊感溢れ出てきそうな男子のしょうもないいたずらなど、騒がしくせわしなくまだまだ子どもというのもいれば、そんな連中とはもうツルむ事なくなって行くような、恥ずかしさを覚え始めた中人も出現を始める時期。当然端境期も大勢居る訳で。
そんな空気感も描けます、と、くらもち先生の別の面を見せにきてる。「東京のカサノバ」とか、「アンコールが3回」とか、まだ描いている頃なのに作品で変えている。
先生の各作品レビュー中何度も確かに感じることは、先生は漫画という表現方法だから提示出来る見せ方をしてくる、ということ。連続コマで流れのただの一コマではなく、一枚一枚が絵として独立している上に、各コマが人物のセリフで場面場面を見事に繋いでいること。セリフのないコマも転換に困ったりの苦しい場繋ぎ感無し。白地を埋める為だけに絵は存在せず、ストーリーを絵で語る為に意味ある補足として活かされている。ビジュアルが圧倒的に雄弁かつ味わいを持つ。
しかも主人公の心中の言葉選びの巧みさもある。TVドラマで、年齢不相応な台詞を見て(個人差あるにせよ、それにしても設定とかけ離れて)興醒めしたことが何回もある。くらもち先生の描写年齢には、あの頃そんな落ち着きのなさがあったなぁとストンと腑に落ちる、郷愁溢れる説得力があるため、実在感をその漫画世界に造り上げていて、違和感持つ間もないまま読み進められる。
ストーリーは、やはり思春期入口の、いろいろと不器用な、むしろ鼻にツンと来る不恰好さ、こどもなりにその思考全てで必死に考えて、又は考えすぎて、反対に考え及ばず行動して、それでそうなるなんだよね、というのが、本当によく出ている。
スマートにやれないリアルがある。
くらもち先生は男子の心情を、本人の心の言葉として文字化で種明かししないタイプ。その言葉数は最小限。故に、なのか、それなのにと言うべきか、主人公へのインパクトが物語性を揺さぶる。
幕引きテクニックを見せつけられる度、ドラマというものがどこに力を持っているか、正体を知ってらっしゃるんだなぁと実感する。
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